みそブログ

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多摩川でマラソンを頑張ってるサブスリーランナーのブログ。

続・東日本大震災から5年。あの日僕は。。

時刻は18時頃

 

どれだけ待っても復旧の目処が経たず、このまま待っていても拉致があかないと思い、長時間コーヒー1杯で粘ったカフェを後にしました。

http://www.flickr.com/photos/16493883@N00/7198871750

 

 

辺りは既に薄暗く、土地勘もないところでとりあえず帰る手段を探してみる・・・も見つからず。。

 

交通インフラは既に崩壊しており道路は大渋滞。

 

タクシーもバスも全く進まない模様、というか乗れない。

 

「さてどうするか・・・むぅ。。」

「とりあえず、横浜駅まで歩くか」

 

とりあえず青看板を見る感じだと横浜駅までは5kmくらい。歩けない距離ではない。

 

しかし正直な話、東京マラソンで受けたカラダのダメージは抜けきっておらず、できれば避けたい判断でしたが、泊まれる宿なども周辺にはないようなので横浜駅までとりあえず行くしかない。。

 

ということで、青看板を頼りに横浜駅を目指すことにしました。

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「しかし・・・寒いな」

 

この日は消防署への取材後に直帰予定だったのでコートなど持ってきておらず、スーツにマフラー程度の装備でした。この格好で外を数キロ歩くのは実に寒い。

 

そしてビジネスシューズ

 

しんどい思いをしながら歩を進め、ようやく横浜についた頃には既に20時頃。

 

そこで見た光景に私は驚愕しました

 

横浜駅、果たしてそこは・・・

人!人!人!!!

 

人に溢れかえった横浜駅。あいも変わらず復旧しない電車を待ち続ける人々に、既に待ちくたびれて地面に横たわっている人も多数。中にはここで一夜を明かすことを決意したのか、毛布を買ってきて陣取りしている人たちも・・・

 

ここまで来れば帰れるだろうと思っていた私も、ここでようやく事態の重さに気付かされ愕然とし地面に座り込んでしまいました・・・

http://www.flickr.com/photos/93119463@N00/3835807004

 

 

どのくらい座り込んでいたでしょうか・・・

 

「・・・腹減った」

 

そういえば昼から何も食べていない、このままじゃ拉致があかないな・・・はぁ~・・・歩くか

 

横浜駅で一晩明かすことも覚悟していましたが、やはりどうしても家の布団で寝たい、携帯の電池も切れているし他の皆の状況も気になる、お腹も空いた!

 

ということで、ここから15km先の家まで更に歩く決意をしました。

 

国道16号線民族大移動

当時の私の家までは横浜駅からは国道16号線をまっすぐ歩けば着ける単純なルート。迷うことはないがただただ歩くには遠い距離。

 

日が変わる頃につければ・・・という思いで歩を少しずつ進めます。

 

駅を出て国道16号に出た瞬間・・・!?

 

同じような考えの人々が列をなして歩いているではありませんか。まじかよ。

 

この人達は一体どこまで歩くんだろう?と思いながらも一緒になって私も歩き出しました。

 

途中で栄養補給のためにコンビニに寄るも・・・何もない。本当に何もない。

 

唯一あったのが、ファミチキの辛いやつ。ただし飲み物はありません。

 

・・・そして口を軽く腫らしながら又歩みを続けます。

 

「あぁ寒いなぁ・・・口だけは無駄に暖かいのに」

 

ようやく家へ・・・

時刻は午前0時

 

もう足の痛みも寒さの感覚も麻痺した状態でようやく家にたどり着きました。

 

強烈な疲労感と安堵感、そして謎の達成感がいっぺんにやってきて、部屋のドアをあけるとそこは・・・

 

グシャァ

 

家具という家具が倒れて悲惨な状態の部屋が

 

「もう無理」

 

ということで、ぐちゃぐちゃに散乱した物を端に除けて寝る場所を確保、そしてパソコンにてすぐにニュースをチェックしました。そこで初めて今何が起きているのかを理解しました。

 

はじめて2ちゃんねるを駆使してリアルタイムな情報と人々の反応を収集しながら結局一睡もできず、どうしたらよいか分からなくなってしまいました。

 

そして土曜日

 

相変わらず復旧しないインフラ、食料確保も難しい中、賞味期限の切れたフルグラと、唯一近くのファミマに売っていた無印のお菓子を食べて飢えをしのいでおりました。

 

これが、私の震災による被害状況でございます。

 

 

被害の最前線にいた方々の苦労に比べればビチグソのようなお話ですが、当時のことは今でも鮮明に覚えております。

 

その後いろいろな方々からお話を伺う機会がありましたが、

 

  • 会社に泊まった。
  • チャリを購入して帰った
  • ○○km歩いて帰った
  • 居酒屋で飲み明かした
  • 騒ぎに乗じて現れた強盗に店を荒らされた
  • 駅に止まった
  • たまたま出張で福島にいた・・・

 

皆さん様々な経験をなされているようでした

 

まとめ

「まだまだ震災の被害は続いている」

 

この事実だけは揺るがないものです。

 

これから私がどういう行動を取ることが正しいことなのか、正直まったくわかりません。

 

ただ、「忘れてはいけない」

 

この先本当の復旧に何年かかるのかは、私には健闘もつきません。

 

しかし本当の復旧が終わるその日まで

 

被害にあった方々の笑顔が戻るその日まで

 

きっと私たちは忘れてはいけない、伝えていくべきことなのだろうと思います。

 

そしてこのことを教訓に、自分には何が出来るのかを少しでもいいから考えていきたいと、そう感じた今日でした。

 

以上

 

 

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